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相変わらず暑・・・そんなに暑くはないけど湿気が凄い毎日ですね。
空模様も不安定で何時雨が降ってもおかしくないですお!
さて・・・今日家の前で走る前の準備体操してたら「自治会の運動会のリレーに出てくれないか?」
と・・・誘いが来ました。
まあリレーって興味あったし「いいですよ」と軽くおkした。
その人は自分が市内の駅伝出てることを知っていて聞いたみたい。
ちなみに9月6日・・・とか行ってたっけな。
まだ先のことwww
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健康福祉村からの夜空・・・

福祉村で走った後、ふと見上げた夜空・・・
結構星が多かったの。。。
そういえば福祉村の周りって畑が多くて明かりが少ないからかな・・・
自宅で見るより良く星が見えました。
まあ山の上と比べれば少ないですがの。
小さな発見!

登山の悲劇

北海道で起きた登山ツアーの悲劇・・・
こんな夏だと言うのに登山で10人死んだというのですからね・・・
恐ろしい・・・
なんでそうなったか。
いろいろなマイナスが重なってしまっての悲劇だったらしい。
装備が不十分だったり、小屋で休まずにテントで休んだり、SOSの電話が遅れたり・・・
自分も去年富士山を登ったんですが、肺活量には自信があったんですがそれでも頂上に近づくにつれてちょっと登るとすぐ息が切れてましたからね・・・
まああん時は装備が不十分だったからなあ・・・
夏も冬も登山を甘く見てはいけない!という事を深く感じたっす!

韓信

劉邦の中で軍事面で大活躍した武将。
背水の陣、国士無双、の言葉を残した事で有名です。
この人は前に紹介した陳平のように、いや・・・それ以上に前評判が良くなかった。
人の股をくぐったり(韓信の股くぐり、として有名。)お婆さんから物乞いして食事をもらったり、
母親の葬儀にいかなかったり。
まあ、3つの内の2つは訳ありで人の股をくぐったのは「股をくぐれ!」と言われて拒否すれば
その人とトラブルになるから恥を忍んで股をくぐった訳で、母親の葬儀に行かなかったのは家が貧しく
まともな葬儀代が出せないため行かずに勉強したとあります。でもその後見晴らしの良い丘に
立派・・・とあ言えないがお墓を作ったとあります。
最初項羽の軍師氾増にその才能を見出され推薦されました。しかし、見栄えの悪さ、前評判の悪さ
がありまして項羽は対した役には就けなかった。氾増は「もし韓信を重く用いないのなら殺してしまいなされ。他国へ走られたら脅威になります。」と進言。これもまったく聞く耳を持たなかった。
氾増の次は張良がこの人に目をつけた。それはなぜかというと、張良の作戦内容が韓信には手に取るように分かっていたらしい。このことを項羽に手紙で教えるが項羽は気にしなかったという。
項羽の所から劉邦のとこに亡命した韓信、劉邦の所に仕官した。
劉邦も前評判の悪さから最初はあまりいい顔しなかったが、張良の推薦と夏候嬰(かこうえい)、
蕭何(しょうか)が「この人がいなければ天下を取る事ができません」と強く勧めるので、
韓信を全軍を指揮できる権限、元帥の職を与えて劉邦の片腕として働くのです。

韓信が有能な理由の一部・・・・
ちなみに韓信は入念に地形などを調べて作戦を練ることが基本でありました。
けして無理な戦いをせず勝算のある戦いをしていたっていう感じですかね。
後軍事訓練ではたとえ劉邦の身内であっても公平に裁判し軍事訓練は厳しく、
訓練の時は自分も一緒に参加し、寝る所も同じ所で寝たという。
そうして鍛え上げた兵士はすばやい動きでいろいろな陣形にぱっと変化できたという。
まあこれが全部と言うわけではないんですが・・・

陳平

張良とともに劉邦を支えた家臣の一人。
劉邦死後も漢王朝を支えた内の一人だったが、
この人は若い頃兄に養われながら勉強をしていた。
兄は弟の才能に期待して仕事で得たお金のほとんどを勉強の費用に回していた。
しかし陳平は弟の働いてる間に兄嫁と不倫の仲になったというあんまり、人としては良くなかった。
陳平はいろいろな所の家臣になったが、たいした仕事に就くことができなかった。
その原因は過去にいろいろ問題があった事、貧しい家の出だった事だったらしい。
劉邦に仕える前は項羽に仕えたが、項羽はたいしたことのない問題を取り上げ陳平を処刑しようとした。だが陳平はその事をいち早く気づき項羽の元を去った。
その後に劉邦の所に亡命し劉邦の家臣となった。
でもここでも過去の問題を取り上げ、「陳平を重要な職に就かせるのは大丈夫か?」という批判が
あった。

この後陳平の親友魏無知という人はこんな感じ弁明している。
「漢王(劉邦)は陳平の過去の事を気になされている。しかし、過去のおこないが良くても無能な人を
用いて項羽と戦っても勝利をあげることができますか?陳平はこの戦に役立つ才能を持っているからこそ推薦したのです。陳平の才能が必要ないと思えばすぐにでも解任してください。」
この言葉の後劉邦は陳平と話合い、陳平の才能を高く評価して重要な役職にしたという。
まあこの後は最初に述べた通り張良と一緒に漢王を支えていきます。
ちなみに離間の策を出したのもこの人。

魏無知という人のお話が印象的だったかな。

子嬰(しえい)

秦の始皇帝(名を政という)が秦の1代目皇帝、
子嬰はそれから3代目になります。
2代皇帝胡亥(こがい)は国の政治を行わず宮殿に篭りっきりでお酒と女の毎日だった。
それが原因で国は乱れ争いが起こり国全体が疲弊してしまった。
それでクーデターが起こり胡亥は暗殺され3代目に子嬰が選ばれた。
この人は国民に人気があり(この人なら国を立て直してくれるかもしれない)と家臣が考えてた人も多かったので多数の支持を得て秦王の3代目になった。
それからなんとか国を守ろうと頑張ったが、もうときすでに遅しで最後の砦を劉邦軍に破られ、子嬰も「もはやここまで」と悟り劉邦に降伏した。降伏する前の夜、夜中ずっと布団で泣き続けたという。
降伏してきた子嬰をどうするか劉邦は話し合った。部下の中では「責任者は処刑すべき」という意見があったが、「子嬰は国民に人気があり、秦を守ろうと必死だった。秦を滅ぼしたのは彼の責任ではない」という意見に劉邦は賛成した。
しかし、劉邦の次に項羽が来て項羽は「秦は滅んだが秦の一族はまだ生き残っている。天下万民を
苦しめた張本人は生き残っている秦一族はすべて処刑せよ」と子嬰の一族は処刑されてしまった。
しかし、悲劇はそれだけにとどまらなかった。
子嬰が処刑されたことによって秦の民が項羽批判のデモ活動を行った。
怒った項羽はデモ活動を行った民大体800人を処刑した。
この事件の後、項羽の人気が下がり、劉邦の人気が上がることとなる。
子嬰自体には何にも罪はない・・・国民に愛され何とか国を立て直そうとした人が殺され、一族も殺され秦の民も殺された・・・これが運命なのか!理解に苦しむ・・・

張良

漢の劉邦を支えた伝説の参謀・・・・
この人の事は三国志や日本の時代小説にも出てきまして、結構知っている人は知っていると・・・
思ふ。諸葛公明は自分はこの人と同じと例えたという・・・(まあ実際は公明の方が実力も知名度も
上ですが)
四面楚歌という4文字熟語はこの人から出た言葉ッス!


張良は韓という国の出身で韓が秦に滅ぼされた後秦の始皇帝暗殺しようとした人物。
しかし、失敗したのちに身を隠し始皇帝が死んだ後韓の国を再興しようとしたり、劉邦の参謀に
なったりした。
秦が滅んだ後に項羽が韓の王様を小さな罪で殺されたことから張良は韓の王様の仇を打とうと
胸に近い劉邦を天下人にしようと決意する。

張良は体が弱い方で前線で部隊を指揮する事はなかったが、劉邦のそばで謀(作戦)を立てることによって勝利にみちびいた。
負ける事によって弱気になる劉邦を励まし、なんとか逆転させる作戦を提案したのも張良だった。
作戦を提案するだけではなく外交(話し合いていうのかな・・・)も得意で他国を説得し味方につける事
に成功したり一時期ではあるが項羽も敵に近い関係だったが張良のいう事をほいほい聞いてしまう
こともあった。
劉邦の中で一番の功績だった張良だが、自分の故郷の留の地(今の市町村みたいな感じかな・・・)
だけをもらった。多分でああるが韓王の敵討ちの後人生をのんびりすごしたのかったかな・・・

項羽と劉邦の中で一番好きな人物だったから、もっと旨く説明したかったかな・・・
でも項羽以上に頑張った!


氾増

氾増(はんぞう)
項羽は部下の意見を聞くことが少なかった為、項羽の元を離れてしまった部下が多かったが
死ぬ間際まで項羽のの下で仕えた軍師。
秦が滅びた後、氾増の事を亜父、と呼んでいる。
俺から見てとても優秀な軍師であったが力押しや感情に囚われることが多かった項羽は
この人の作戦を用いる事が少なかった。
その中でもまだたいした力がない劉邦を注目し「この人は遠い将来遠い将来厄介な存在になる」
と意見したが、「こんな農民出身の男に何ができる」という事を聞かなかった。
項羽は劉邦を表面上でしか見なかったのである。
劉邦は項羽と氾増の仲を裂く離間の策というのを用いて項羽と氾増の中を裂こうとした。
「氾増は項羽を裏切ろうとしている」という噂を巻き、それを本当ののように芝居をしたのである。
単純な項羽はこの作戦にまんまとはまり氾増を殺そうとした。
しかし、彼の功績はとても大きく、項羽自身も氾増を尊敬している所もあったので、
軍師という役職を解き、普通の一般市民にしてしまった。
氾増はその事がショックで故郷に帰る途中に病死してしまったという。
命をかけて項羽を天下人にしようとしたのに裏切りの汚名を着せられてしまった悲運の人。
いろんな知恵がありながらそれを生かしきれなかった・・・
項羽はこの人のいう事を聞いて実行してれば項羽が天下人になっていただろうに・・・
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