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子嬰(しえい)

秦の始皇帝(名を政という)が秦の1代目皇帝、
子嬰はそれから3代目になります。
2代皇帝胡亥(こがい)は国の政治を行わず宮殿に篭りっきりでお酒と女の毎日だった。
それが原因で国は乱れ争いが起こり国全体が疲弊してしまった。
それでクーデターが起こり胡亥は暗殺され3代目に子嬰が選ばれた。
この人は国民に人気があり(この人なら国を立て直してくれるかもしれない)と家臣が考えてた人も多かったので多数の支持を得て秦王の3代目になった。
それからなんとか国を守ろうと頑張ったが、もうときすでに遅しで最後の砦を劉邦軍に破られ、子嬰も「もはやここまで」と悟り劉邦に降伏した。降伏する前の夜、夜中ずっと布団で泣き続けたという。
降伏してきた子嬰をどうするか劉邦は話し合った。部下の中では「責任者は処刑すべき」という意見があったが、「子嬰は国民に人気があり、秦を守ろうと必死だった。秦を滅ぼしたのは彼の責任ではない」という意見に劉邦は賛成した。
しかし、劉邦の次に項羽が来て項羽は「秦は滅んだが秦の一族はまだ生き残っている。天下万民を
苦しめた張本人は生き残っている秦一族はすべて処刑せよ」と子嬰の一族は処刑されてしまった。
しかし、悲劇はそれだけにとどまらなかった。
子嬰が処刑されたことによって秦の民が項羽批判のデモ活動を行った。
怒った項羽はデモ活動を行った民大体800人を処刑した。
この事件の後、項羽の人気が下がり、劉邦の人気が上がることとなる。
子嬰自体には何にも罪はない・・・国民に愛され何とか国を立て直そうとした人が殺され、一族も殺され秦の民も殺された・・・これが運命なのか!理解に苦しむ・・・
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非公開コメント

これは・・
凄い・・ 実に可哀想な話ですね.確かにこういう運命だったと
知ると理解に苦しみますね.

>夜中ずっと布団で泣き続けたという。

どんなに辛くて切なくて無念だった事でしょうね.
そして子嬰の一族までも処刑されてしまったとは!
こんな戦乱の時代には生まれなくて, ホント良かったと思います.

始皇帝, 【政】という名前だったのですか!
初めて知りました。。;
始皇帝が代名詞みたいになってますよね.


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